自己愛には際限がない
3年前の望みは叶っていたが

起業を始めて3年。
初めは大規模なコミュニティに属して、学んで、SNS起業コンサルタントとして活動。その後コミュニティの方針やビジネスノウハウの違和感を感じて、コミュニティを抜けた後はスピリチュアルに振り切って、独自のセッションを開始。(後のピュアルだね)
メンターとか寄りかかるものが何もない中で、ただ自分がやることを信じてここまで突っ走ってきた3年間だったわけでです。自分が思う自由な起業の形ってまだまだ叶えられる〜って思っていたんよね。
コミュニティも抜けて、メンターもいない、それでも何とかやっていこうと決めて2年前の冬に、その時の自分の学びを詰め込んだ3DAYS講座。フロントで2人お客さんが来てくれたんだよね。その後も、本講座に私を信じて飛び込んで来てくれたお二人。あの時の感覚って思い出すと、グッとくるものがあります…。何にも頼らないで、自分で決めて自分で作って自分で販売した講座だったのよ。講座の金額がいくらが良いんだろうって、怖いと感じながらも決めたよね。
そこからがむしゃらにいろんなところに飛び込んではいろんな学びを受け取り、6月には自身のコミュニティである”大人達が青春を取り戻す”をコンセプトにしたagog styleコミュニティを立ち上げて、みんなでイベントも起こした。あの時のあの瞬間のメンバーで作り上げた過程は間違いなく青春で!!!本当に楽しかったな〜
そして3年前に願っていた”全国の生徒さんに会いにいく旅行がしたい”という自分の夢はその頃にはもうしっかり叶っていて、こんなに飛行機も新幹線も乗る機会ある???っていうぐらい、日本中のいろんなところに飛び回ることができたのだ。
昔から貯金をすることができなくて、この分の金額は必ず取り返すっていう自分の中の信頼や強い意志があったからか、いつの間にか毎月50万くらい回せるようになっている自分がいた。その間は沢山自分とも向き合ったし、中でも自分が一番怖かった、自分に対して物質を与えるということもここでは体感に落としてあげることを繰り返していた。
自分がまずは幸せじゃないと相手のことも幸せにできなっていうことが腑に落ちていたからこそ、時間でも、体験でも、物質でも、とにかく自分をまず喜ばせるようにっていうのを徹底していてここまでくることができたのだが…。
「これは私の望みだもん!」のトラップ
今年の6月、コミュニティが1年を迎え、7月私の32歳の誕生日を過ぎた辺りからか…。
自分自身と深く向き合ってきたからこそ、どんどん自分の気持ちに嘘がつけなくなっているのも何となく感じていました。
ピュアル(独自の解放セッション)の生徒さん、コミュニティのメンバーとのセッション、人と話すことは全然苦じゃないと鷹を括っていたわけですが、この頃から、ものすごく疲労感を感じるわけです。それなりに買い物をしたり、温泉に行ったり、と自分の癒しはしていたつもりだったのが・・・それも”つもり”でした。プライベートの境もない仕事が理想だったわけですが、1回60分、LINEもし放題、人の感情を取り扱うというのは結構精神的にも体力的にも負担がかかっていたようで、ここで一度働き方の見直しが入ります。
セッションを始めた最初の頃よりも相手と線引きはできていても、自分が人を感じ取る意識のスイッチをシャットダウンする日は必要だと気づき、土日を完全休みにすることにしました。セッションの枠も1日3枠まで。スピリチュアルを軽く扱っちゃ潰れるという言葉をどこかで耳にしていたのですが、ここで一度見直しが入ったわけです。
そして継続講座を受けてくれた人にはリアルの対面セッションをつけるという私の厚意。これが始まった当初は良かったのですが、3年前の望み叶ってるじゃん!!!と、「私がやりたいことだし」とプラスに捉えて続けいたところ、だんだん採算が取れなくなっていくわけです。あれだけ回していたお金のエネルギーもだんだん滞るのがわかりました。(講座のお金と交通費と考えたら当たり前の話ではあるのだが感覚派の自分には全くその視点はなく・・・)
「自分がやりたいことだったはずなのに」
現実はいつも教えてくれる
この頃は仕事の体制も講座の金額も色々と何かがズレていると気づき始めた時でした。極め付けは、出場を決めて結構な自己投資をした韓国のインフルエンサーフェスの運営やその環境を取り巻く人達に全く大切にされない雑な態度を取られ、怒りと悲しみを感じた私は出場を辞退をし、相手側と揉めるということに…(ここの話はまた別の会で)
なんかもう、いろんな立て直しや理不尽なことが起きた時にようやく気づくわけです。
「あ、私が私のことを大事にしていないからだ」と。
恐らく私が起業してからここに気づくときまでは、それはそれで大きな自己愛で自分自身を高めてきたわけですよ。だから大きな循環を生むこともできてた。でもね、もう地球の次元がどんどん上がっている今、フェーズが上がるスピードも尋常じゃなくて、今までの自己愛の感覚はもう”自己犠牲”も含まれているということ。そこに気付けたんですね。(自分を大事にするという感覚にもっと細かくふるいにかけるという感覚かな)
私、もっともっと自分のこと大事にして良いんだ!!って、身も心も結構ズタボロでしたね、この時は。
あとはね、自分の中のとんでもない勘違いにも気づいてしまって。
私は昔からずっと人に恵まれてここまで生きてきたと思っていたのだけど、一番しんどい時って誰も助けてくれなかったんですね。しんどい時にいつだって行動を起こすのは自分で、めちゃくちゃに魂を奮い起こして「何とかしなきゃ!!」って必死に助けを求めたり、何かを起こしたりしていたわけです。
それに気づいた時には「愛子、ごめんね。生きているのしんどいって思いながらも死ぬ気持ちもないし、勇気もないし、いつもギリギリのところでがんばらせてたんだね」って、自分に声をかけてボロボロ泣いてました。そこから出た本音って「あーもう楽になりたい、安心したい」って。
なんかね、ここからの意識の変容がすごくて。
よく、良いことを引き寄せるためには感謝をしましょうとか言ったりするじゃない?私はあの、今の自分を否定して無理矢理ポジティブに持っていこうとする手法が大嫌いでね。(陰の部分も大好きで大事だから)
ただね、今回の気づきでどんな意識に変わったかっていうと、もうこれ以上愛子に悲しい思いをさせたくないから、楽しいこと感じよう、嬉しいこと感じよう。って、自分を大事にしようと決意した上で、意識を陽の感覚に持っていった自分がいたのね。
もちろん悲しさはあるし、不安もあるし、それが無くなることもないし、その自分も大事にした上での話よ!!
ここまでとことん自己受容と向き合ってきたからこその意識の大変革みたいな感覚でした。

目の前の出来事に「あなたが望んでるものまだまだこんなもんじゃないでしょ?」って毎回言われている感じです。
自分の一つ一つの体験が、乗り越えてきた過程が目の前に来てくれた方の何かの希望になるのだろうな。今までもそうだったからきっとこれからも。
自己受容の話はまだまだ続きがあるので、こちらもまた次の記事で!!